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ウィルダネス・ファーストエイドの法的問題考

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2017年6月16日(金)に開催された 第1回ウィルダネス・リスクマネジメント・カンファレンス に参加してきました。

初回開催の今年のテーマは「日本における野外救急法の現状と課題」

主に北米で発展してきた Wilderness First Aid 講習プロバイダー(提供事業者)が日本にもいくつか入ってきていますが、野外救急法が一般の救急法と違うのは、救急車が来てくれる環境ではないという点。

そのため、通常だったらプロの救急隊員や医師に委ねるべき判断や医療処置(脱臼整復、アドレナリン注射、ジフェンヒドラミン投与、創洗浄、頚椎保護解除診断など)までも含むのがウィルダネス・ファーストエイドの特徴です。

そのため、北米の講習プログラムをそのまま日本国内で展開したときの危険性や法律に抵触する可能性がしばしば問題となってきました。

今回は、複数のウィルダネス・ファーストエイド講習展開事業者が集い、実現したカンファレンス。

野外教育の専門家、弁護士、医師による野外救急法をテーマにしたシンポジウムで、ウィルダネス・ファーストエイドの日本での法的な位置づけがはっきりすることを期待しての参加でした。


●新しいことはなかった

さて、参加させてもらっての感想ですが、「なにも新たな知見はなかった」、というのが結論です。


  • ファーストエイドは医師法に抵触しない

  • しかし、ウィルダネス・ファーストエイドに含まれる医療行為の実施は傷害罪を問われる可能性がある

  • アウトドアガイドなど業務で処置する人は、一般人に比べて結果責任を問われる可能性が高い




従前から知られていたとおりのことが再確認されただけでした。

当初、弁護士の話として、ファーストエイドの実施は医師法違反にならない、という点が強調されており、ウィルダネス・ファーストエイドの実施にはなんら法的問題はないという論調が形成されました。

しかし、その後の質疑応答の中で、「ウィルダネス・ファーストエイドに含まれる、本来は医師しか行えない医療行為を無免許者が行えば傷害罪になるのではないか?」というフロアからの意見に対しては、個別のケースは事後に検証しなければわからないが、傷害罪をとなる可能性はあるというのが弁護士からの回答でした。

つまり、医師法違反にはならないが、刑法(傷害罪)に抵触することは否定できないという結論です。


●医師法違反にならないが傷害罪にはなりうる

この部分のシンポジウムの進め方には、少し危険な部分を感じました。

医師法違反にはならないが傷害罪になる。

それを持って、大丈夫、法的に問題ないという論旨展開していたことになります。

質疑応答で刑法のことが質問されなければ、これで終わっていたと考えると恐ろしさを感じます。

そもそも、弁護士が真っ先に言及した「ファーストエイドは医師違反にならない」という言葉の中の「ファーストエイド」の中身が定義されていなかったのも問題でしょう。

これを日本赤十字社や総務省消防庁がいうところの救急法とするのであれば、なんの違和感も感じない文脈です。

しかし、今回は、町中であれば、医師以外がやってはいけないと認識されている行為を含めた「普通ではない」ファーストエイドを論じているのです。

この前提を整えずに、法的に問題ないと結論付けるのは、大きなミスリードを生む危険をはらんでいると感じました。


医師法が規制しているのは「反復継続の意思」を持って医行為を行うことであって、簡単にいうと偶発的な単回の医療行為は医師法違反となりません。これは事実です。

だからと言って、例えば素人がナイフを使って気管切開をしていい、という話にはなりません。

他人の体に刃物を突き立てれれば傷害です。

いくら緊急事態で刑法37条の緊急避難が適応されるとしても、一般的には無謀な行為とみなされるでしょう。そのような判例がないから、ダメとは言えないという意見もありますが、だからといって素人が人の首にナイフを突き立てることをよしとする通念は日本にはありません。

緊急避難にあたるかどうかは社会的相当性で判断されると弁護士は言っていました。

日本社会におけるファーストエイドには医行為は含みません。これが日本の社会通念。

そんな中で、米国の民間団体が行う数日間の講習を受けて取得した民間資格で、素人が医療行為を行う妥当性があると判断されるものなのか?

今回のシンポジウムでも、明らかになりませんでした。



今回のシンポジウムには、アウトドア事業者、医療者、野外教育者など、90名近い方が参加していたと聞いています。

この話を聞いた人たちがどのような理解を持って帰ったのか?

それが気になるところです。

今回のカンファレンスの内容はアウトドア雑誌で2ページに渡って紹介されることが決まっているそうです。

「ウィルダネス・ファーストエイドは日本の法律的にまったく問題ないことが確認された」というようなミスリードされた理解に基づいた記事が発信されないことを願っています。





ウィルダネス・ファーストエイドの医行為は傷害罪にあたる可能性 〜Garvy誌記事より

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2017年に6月16日にお台場で開催された ウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンス の様子が、アウトドア雑誌Garvyに掲載されました。

Garvy 野外救急法の最前線 ウィルダネスファーストエイドの危険性


このカンファレンスに関しては、医療や法律に明るくないアウトドア専門家たちをミスリードする危険をはらんでいたことは以前にブログでも書かせていただきました。



カンファレンスには、メディア関係者も来ていたため、どのように報じられるかを懸念していましたが、Garvy誌に関しては、きちんと正しく伝えてくれていたため、一安心。

どのような内容だったのかは、ぜひ Garvy誌2017年8月号 の106〜107ページを御覧いただきたいのですが、かいつまんで要点だけを確認し、補足をしておきます。



(ウィルダネス・ファーストエイドが)「一般的に知られる救急法と異なる点は、救急車が来ないようなウィルダネスエリアで、より高度な救急処置を行うことです。例えば、一般的には救急隊員が判断し、医師が処置するような頚椎保護の診断や、脱臼の整復深い創傷の洗浄や、注射の使用などがこのウィルダネス・ファーストエイドには含まれます」

(小清水哲郎:野外救急法の最前線, Garvy 2017年8月号, p.106, 実業之日本社)


記事の中では、まずは日本の一般的なファーストエイド(救急法)とウィルダネス・ファーストエイドの違いを明確にしていました。

この点は、先のカンファレンスではまったく言及されていなかったという問題点は以前に指摘したとおりです。

パネラーとして登壇した弁護士や医師が言及する「ファーストエイド」が日本の一般通念によるファーストエイドなのか、北米の特殊なウィルダネス・ファーストエイドなのかはっきりしないまま議論が進んでいたため、オーディエンスに誤解を与える問題点となっていました。


  • 日本の一般的なファーストエイド(日赤や消防で教える内容)……医療行為は含まれない
  • 北米発祥のウィルダネス・ファーストエイド……注射や脱臼整復などの医療行為を含む


まずは、この違いをきちんと区別して考えることが重要です。

それがウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンスでは抜けていました。

その点、Garvy記事はきちんと補足してくれています。


その上で、法的な視点ということで次のようにまとめています。

「一般的なファーストエイドを緊急時対応として行うことは問題ないが、『ウィルダネス・ファーストエイドの場合は、実際の個々の案件による』とのこと。事例が多くなく、また判例もないことから、現時点では万が一の場合は『医師法違反にはならないが傷害罪になる』可能性がある、という話でした」

(小清水哲郎:野外救急法の最前線, Garvy 2017年8月号, p.107, 実業之日本社)


この部分ですが、前回のBLS横浜ブログ記事で書いたとおり、フロアからの質疑応答によって初めて言及された部分でした。つまり、たまたまの質問がなければ全くスルーされていた部分です。ここをきちんと拾ってくれた記者の方には感謝です。

医師法違反が問われるのは、「反復継続の意志」を持って医行為を行った場合ですから、単発の偶発的な医療行為が医師法に抵触しないのは、AEDやエピペンの市民解禁ですでによく知られているとおりです。

しかし、医師以外が行う医行為は、その正当性を担保するものがありませんから、社会的相当性によって判断され、否となれば、人を傷つけたという傷害の罪が問われる可能性は十分にありえます。これは医師法とはまったく別の問題としてウィルダネス・ファーストエイド・プロバイダーの前に立ちはだかっているのです。

一般の方はあまり考える機会がないかもしれませんが、医療行為のほとんどは、目的や妥当性を誤れば、人を傷つける行為、傷害と紙一重です。

つい先日も、睡眠導入剤を飲み物に混ぜた(薬剤投与した)准看護師が傷害容疑で逮捕されたという事件が記憶にあたらしいところでしょう。

人に薬物を投与したり、針を指すという行為は、基本的には傷害です。

しかし、高度に訓練を受けて免許を与えられた「医師」が医学的な妥当性をもって行うとき限り、その判断と行為が正当化されて、診断・治療という名前に変わると考えてみてください。

ここで3つのポイントがあります。

1.行った行為(処置:医行為)は正しく実施されたか?
2.行為を実施するという判断(診断)は妥当だったか?
3.実施者は、1と2を行うだけの訓練をされた人間であったか?

日本では、医学部に入学し6年間の教育を受け、医師免許を取得することで上記の1〜3が担保されるとみなされます。

つまり、傷害と医行為を区別するポイントは一言で言えば「免許」です。

緊急避難ということで大目に見たとしても、「教育・訓練」が問題となるのは必至でしょう。

今は、判例がなく、なんとも言えませんが、今後は、この教育・訓練の妥当性が焦点となっていくはずです。

Garvy誌の記事の中で、「ウィルダネス・ファーストエイド講習に参加した医療者は、対処法に問題はないと考えています」「医師も学ぶ点が多いなど、好意的な話や」と言った一文があり、医学的な妥当性があることを示唆していますが、医学的に正しいことであっても、それをウィルダネス・ファーストエイドという国家資格とは無縁の外国の教育を受けることで、基礎知識のない一般人が、妥当な判断をできるように人材に育つのか、また技術の保証がされるのか、ということこそが問題です。

そこに関しては、カンファレンス中でも言及はされませんでしたし、記事にも書かれていません。

だからこそ、記事の結論として、「現時点での考え方は、従来からの現場課題であり、カンファレンスだけで問題解決する話ではありませんでした」としているのは妥当だと思います。

医学的正当性を検証するだけでは不十分です。教育的な妥当性も検証されなければならないのです。

「この先の良き前例の積み重ねによって、ウィルダネス・ファーストエイドへの理解と必要性を作り上げていくことの確認がなされました」

この当事者になる覚悟は重いです。

簡単にいえば、訴追される、裁判になるという覚悟です。

そうして、裁判や、社会問題として検討されていく積み重ねが、今後必要だということです。



次回は来年の6月に長野でウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンスが開催される予定です。

このカンファレンス自体は、ファーストエイドに特化したものではなく、あくまでも野外リスクマネージメントという視座の中のひとつとして、今回たまたまファーストエイドが選ばれただけです。ですから、次回のテーマは、遭難かもしれませんし、落雷かもしれません。

しかし、今回、懸案だったウィルダネス・ファーストエイドの現状確認の第一歩が行われたわけですから、この先のウィルダネス・ファーストエイドの日本国内定着に向けての議論は、今後も続けていってほしい永代のテーマだと思っています。

WRM関係者ならびにすべてのWFA講習提供者の方たちには、この点、切にお願いしたいと思います。









「山と渓谷」誌のウィルダネス・ファーストエイド関連記事の問題点

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昨日は、アウトドア雑誌Garvyに掲載された「ウィルダネス・リスクマネジメント・カンファレンス」のレポートを紹介しましたが、山岳雑誌「山と渓谷」でも同じ話題が載っていました。

山と渓谷社 ウィルダネス・ファーストエイド記事


ウィルダネス・ファーストエイドの医行為に関するシンポジウムの下りは下記のようにまとめられていました。

「山岳事故の法的課題などに詳しい弁護士の溝手康史さんは緊急事態下では『医療行為』に該当する応急処置を一般人が行っても医師法には反しないとの原則を説明した上で、『ガイドなどは職務上の注意義務があるが、本来なすべき処置を行っていれば、責任を問われることはない』として、対応を恐れないように呼びかけた。」

(山と渓谷, 2017年8月号, p.187)



1ページだけの簡単な記事で、非常に簡略化されている印象ですが、前後の文脈はなく、当該部分はこれだけです。

昨日のGarvy誌の掲載内容についての記事をご覧頂いた方は、お気づきと思いますが、主たるメッセージがまったく違います。ほぼ正反対に近い印象を受けるのではないでしょうか?

山と渓谷誌の記事:
一般人が行う医療行為は医師法には反しない → 本来なすべき処置を行えば責任は問われない → 恐れるな

Garvy誌の記事:
一般的なファーストエイドを緊急時対応として行うことは問題ない → ウィルダネス・ファーストエイド(医行為を含む)は万が一の場合は傷害罪になる → 今後の課題


山と渓谷誌の記事では、先のカンファレンスでの展開と同様、ファーストエイドと医行為の関係性が明確になっておらず、日本の既存概念の応急処置と北米のウィルダネス・ファーストエイドの違いが混沌としています。

一般人が医療行為を行ったとしても「反復継続の意志」がなければ医師法違反を問われないのはよく知られた既知の内容です。

しかし、日本の一般的な応急手当の概念では、医行為は行わない、教えないことになっており、応急手当に医行為が入るのはありえないことです。

ですから、本来なすべき処置 ではない 医行為を行っている以上、2番目の「本来なすべき処置を行えば責任は問われない」という文脈の意味が通りません。本来はなすべき立場にない人(医師免許を持たない人)が行う行為なわけですから。

短い文脈の中でも論理が破綻しており、結局何をいいたいのかわからず、そこに残るのは「恐れるな」という、根拠性のない空虚なメッセージだけです。

・医師法の問題
・刑法の問題(傷害の罪と緊急避難)
・ガイド等の注意義務

シンポジウムで話されていたこの3点が混在となって意味不明な一文になってしまっています。

なにより、医師法違反は問われないとしても、傷害の罪を問われる可能性があるという弁護士の重要な発言部分がまったく触れられていないのは、恣意的なものか、大きな問題と考えます。

字数制限ゆえの「舌っ足らずさ」なのかもしれませんが、非常に重要な部分だけに配慮と責任が感じられず、あまりに残念です。

無駄に大きい写真の意味が気になるばかりです。



溺水の救命のポイントは人工呼吸

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「プールで男児溺れる 監視員が救出、搬送 千葉公園」(千葉日報2017年7月21日付)


プールで男児溺れる 監視員が救出、搬送 千葉公園



プールの底から引き上げたら、意識なし、呼吸なし。人工呼吸をしたら自発呼吸が戻ったというニュース。

AHAの小児の救命の連鎖が示しているように、子どもの救命のための最大の武器はCPR(人工呼吸+胸骨圧迫)です。

喉頭痙攣による呼吸停止だったのか、低酸素による徐脈性PEA(無脈性電気活動)だったのかはわかりませんが、手早く人工呼吸に着手できたのが救命のポイントだったのではないでしょうか?

BLSの原則からすればAEDがあればただちに装着すべきですが、それと同じかそれ以上に、子どもや水辺の救命では人工呼吸が重要です。

心室細動に代表されるような心原性心停止であれば、AEDがなければ救命はほぼ絶望的ですが、呼吸原性心停止の可能性があれば人工呼吸+胸骨圧迫だけでも救える可能性があります。

AEDが「ショックは不要です」と判断したら、呼吸原性心停止の可能性が考えられますから、今どきの Hands only CPR の概念から切り替えて、人工呼吸の実施も積極的に考えていきたいものです。





AEDが「ショックは不要です」というとき

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心停止は大きく分けて2種類あります。

AEDの電気ショックが必要な心停止と、電気ショックが不要(有効でない)な心停止です。

これを判断してくれるのがAEDですから、心停止と認識したら、可能であればすべての症例でAEDは装着するべきです。

つまり、市民向けプロトコルでは、「反応なし+10秒以内に正常な呼吸であると確信できない場合」ですし、医療者向けで言ったら、「反応なし+呼吸なしor死戦期呼吸+脈なし」であれば、CPRを開始しつつ、AEDがあれば直ちに装着します。


AEDの電気ショックのことを専門用語では「除細動」といいます。文字通り、心臓の細かい動き(震え)を取り除くのがAEDです。

心臓が細かく震えている心室細動や(無脈性)心室頻拍を検出した場合に限り、「ショックが必要です。充電します」と言って、電気ショックが実行されるようになっています。

もう一方のタイプの心停止、つまり心停止の中でも心静止(心電図がピーッと一直線の場合)や、なんらかの原因で血圧が低すぎて有効な血流がない状態などの無脈性電気活動(PEA)と呼ばれるタイプの場合は、心停止の原因が心臓の震えではありませんから、当然、AEDは「ショック不要」と判断します。しかしこれも心停止なのです。

ショック不要=心停止じゃない(生きている)というわけではない点、注意して下さい。

AEDは心電図の解析しかできませんから、生きているか心停止かの判断は人間が行わなければならない「仕様」になっています。

そのためAEDを装着する条件が規定されているわけです。


※市民向け: 「反応なし+呼吸なし」
※医療者向け: 「反応なし+呼吸なし+脈なし」


この点は、AEDの取扱説明書(添付文書)で規定されていますし、救命講習でもきちんと教える必要がある部分です。





「反応なし+呼吸なし」ということで、心停止と判断して、AEDを装着して解析させた結果、「ショックは不要です」と言われたのであれば、それは電気ショックが有効ではないタイプの心停止だということです。

この場合、除細動(AED)では救えないということですから、できることと言えば、救急車が到着するまでの間、できるだけ「質の高い」心肺蘇生法を継続することです。

目の前で卒倒した突然の心停止(心原性心停止疑い)の場合以外は、体の中の酸素が枯渇している状態ですから、もし人工呼吸をまだ開始していないのであれば、なんとか感染防護具を手に入れる努力をして、人工呼吸を始めるべき、といえるでしょう。





人工呼吸をしなかったことが過失と認定された裁判例

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少々古い話になりますが、2016年に出た心肺蘇生に関する判決についてクリップしておきます。

女児救命措置に過失 診療所に6100万円賠償命令


女児救命措置に過失 診療所に6100万円賠償命令
 仙台市泉区の診療所を受診後に死亡した宮城県内の小学5年の女児=当時(11)=の遺族が、診療所を運営する同区の医療法人に約6800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は診療所の過失を認め、約6100万円の支払いを命じた。判決は26日付。
 大嶋洋志裁判長は「診療所は、救急蘇生のガイドラインで義務付けられた人工呼吸をしなかった。適切に蘇生措置をしていれば助かった可能性が高い」と述べた。
 判決によると、女児は2011年8月、診療所で中耳炎の治療中に意識を失った。看護師は心臓マッサージはしたが、人工呼吸はしなかった。救急隊が人工呼吸を始めたが、女児は重い低酸素脳症を経て約3週間後に死亡した。医療法人の担当者は「弁護士に任せており、答えられない」と話した。

河北新報
2016年12月28日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161228_13014.html




診療所での救命処置の中で人工呼吸を行わなかったことが、過失と判断されたという事案です。

この報道から考えたことを書き留めておきます。


皆さんは、この報道を目にして、どのように感じたでしょうか?


・人工呼吸はしなくてもいいと教わったけど?
・そこまで求めるのは酷だ
・こんな判決が出たら誰も手出しをしなくなってしまう


この報道が流れたのは2016年の年末。残念ながら、リアルタイムで目にしたわけではないのですが、当時、このような論調が多かったのではないかと想像します。

本件を考える上で、勘違いしてはいけない重要なポイントは次の2点です。

・傷病者は子ども
・診療中の出来事であり、医療従事者の対応であった


まずは、これが「子ども」の蘇生であったという点。これが世間の認識とは少し異なる判決となった要因です。昨今、「人工呼吸はしなくてもよい」という論調が多勢となっていますが、これは成人傷病者を前提とした市民啓蒙のための簡略化であり、医学的に人工呼吸が不要となったわけではありません。

そして次に、本件は医療機関内で免許を持った医療従事者に対する「業務上の過失認定」であるという点を正しく理解する必要があります。プロが行う仕事としての救命処置である、ということです。ですから、この判決が出たからと言って、通りすがりの立場で救護にあたる市民救助者が萎縮するような話ではありません。


この2点を、もう少し詳しく解説していきます。



1.子どもの蘇生法は大人とは違う

蘇生科学の世界では、一般的に子どもと大人では心停止になる要因が違うため、対応の優先順位が異なるとしています。

大人の心停止は心原性心停止が多く、心室細動に代表される心臓のトラブルによって、心臓が停まり、それとほぼ同時に意識消失ならびに呼吸が停まると考えられます。この場合、心肺が突然にほぼ同時に停まるため、倒れる直前までは普通に呼吸をしています。

そのため、血液中には酸素が十分に残っていますので、胸を押して血流を作り出すだけで、脳細胞や心筋細胞に酸素供給を続けることができます。

だからこそ、胸を押すことが優先され、倒れた直後であれば人工呼吸は必ずしも行わなくても良いと言われているわけです。



しかし、子どもの場合は、一般論として呼吸原性心停止が多く、呼吸のトラブルから、まず呼吸が停まり、その後、遅れて心臓が停まる、というケースが想定されます。

つまり、心臓が停まる原因は、呼吸停止により、血液中の酸素を使い切ったことによる酸素不足です。そんな状態で胸骨圧迫のみの蘇生をしたらどうでしょうか?

胸骨圧迫により、血液は巡りますが、血液中の酸素は使い切った状態ですので、心筋細胞と脳細胞に酸素を供給するというCPRの目的を達することはできません。

この場合、人工呼吸によって、大気中の21%の酸素(呼気にも17%の酸素が含まれます)を血液に溶け込ませるというステップが欠かせないというのは理解いただけると思います。


そのため、蘇生のガイドラインでは、子どもの蘇生に関しては、人工呼吸は重要で欠かせないものと位置づけています。感染防護等の準備ができ次第、ただちに人工呼吸を行うことを求めているのです。

さらには、可能であれば胸骨圧迫より、人工呼吸を先に開始することさえ提唱されています。


参考過去記事 → 「溺水の救命のポイントは人工呼吸



2.業務対応としての救命処置と、善意の救急蘇生は違う

子どもの蘇生では、人工呼吸が欠かせないという医学的な理由はご理解いただけたと思います。

人工呼吸は必須というと、体液・血液感染のリスクを負ってまでやらなくてはいけないのか、と疑問に思うかもしれませんが、このあたりは業務としての救命処置なのか、責任がない立場での偶発的な対応なのかが分かれ道です。

通りすがりでたまたま遭遇した子どもの急変に第三者的に関わるのであれば、胸骨圧迫だけでも119番通報するだけでも、自分の安全(感染の問題も含めて)を優先して、できる範囲のことを無理せず行えば十分です。

しかし、今回の事案は、診療所での診療中に起きています。

ですから、感染防護具が準備できずに人工呼吸ができなかった、という言い訳は成り立ちません。

そして、当事者は小児も扱う耳鼻科クリニックの医師と看護師であり、子どもの蘇生には人工呼吸が必要であるという判断ができる立場の人たちです。

ここが、人工呼吸をしなかったことが過失と判断されたポイントと思われます。

医療業務として、やるべきことをしなかった。

もしくは、救急対応ができてしかるべき診療所であるにも関わらず、人工呼吸のデバイスを準備していなかった、もしくは人工呼吸のトレーニングをしていなかったことが、システムの不備、注意義務違反と解釈されます。(参考まで、原告の訴えとしては静脈路確保とアドレナリン投与【二次救命処置】をするべきであったと主張してますが、それは却下されています。)

蘇生ガイドラインは5年ごとに改定されていますが、事案が発生した2011年当時の心肺蘇生法ガイドラインでも、そのひとつ前の2005年ガイドラインでも、子どもの心肺蘇生法では人工呼吸が必要であるという点はずっと変わらず言われている点です。


3.考察

昨今の心肺蘇生法に関する世の中の認識を見ていて感じるのは、市民向け、かつ心原性心停止前提の蘇生法の知識(胸骨圧迫+AEDこそがすべて、みたいな)が広がりすぎて、医療従事者をはじめたとした責任のある立場の人たちが心肺蘇生法について誤解しているのではないかという気がしてなりません。

今回の仙台の事案でも、被告側は、人工呼吸をしなかった正当性の理由のひとつとして「救急医療の専門家が行うものではない段階におけるCPRにあっては,胸骨圧迫のみによる蘇生が推奨された時期もある」という理由を挙げています。

いわゆるHand Only CPRが世界に公表されたのは2008年で、当時は、人工呼吸の省略が許されるのは、「病院外で成人が目の前で卒倒した場合」に限定されており、さらに、子どもや溺水、薬物過量などが疑われるケース(つまり呼吸原性心停止疑い)には適応されず、人工呼吸も行うべきである点が強く強調されていました。

つまり、当時から医療従事者が業務中に行う蘇生に対してはHands only CPRは適応外であり、CPRといったら、人工呼吸+胸骨圧迫である点は、2017年の今に至るまで変わっていません。

医療従事者であっても、人工呼吸準備に時間をかけるなら、まずは胸骨圧迫を始めるというのは正しい判断ですが、その後、スタッフが集まってきて準備ができ次第、人工呼吸を開始するのは、大人であっても子どもあっても同じです。決して人工呼吸をしなくていいと言っているわけではないのです。

心肺蘇生法は、社会啓蒙としての蘇生と、業務としての蘇生では別の流れがあるのですが、この点を医療従事者が把握していないのは残念なことです。市民向けの情報番組を鵜呑みにするのではなく、きちんと医学的に学んでほしいところです。

口対口人工呼吸をしろと言っているわけではありません。

医療機関では然るべき人工呼吸のバリアデバイスを準備して、その使用方法は訓練しておく、というシステムの問題と捉える必要があります。

人工呼吸を試みたがうまくできなかったということが問われているのではなく、準備対策をしていなかったことが問題になっている点には注目すべきです。



この判例について、「厳しい」と感じる医療者の方もいるかもしれません。免許取得過程で小児の救命法を教わっていないというのも事実かもしれません。

しかし、市民の目からみたら、病院勤務の医療従事者であれば、然るべき対応ができると期待しているのは紛れもない事実です。

それに対して、自分の時代は教わっていないからできなくても仕方ない、と遺族に対して面と向かって言えるでしょうか?

然るべき対応とはなにかの判断基準が、判決でも取り上げられているように日本蘇生協議会のJRC蘇生ガイドラインです。今回は、そこに書かれているエビデンスレベルや推奨度も検討され、クリニックにおけるアドレナリン投与までは求めないものの、人工呼吸は行うべきであったと司法は判断しました。



このニュースを聞いて、少しでも心を揺さぶられるのを感じたのであれば、市民啓蒙のための簡略化された救命法ではなく、医療従事者向けの、そして小児BLSを学ぶことをおすすめします。

日本蘇生協議会のJRC蘇生ガイドラインはPDFで全文公開されています。

ぜひ、第1章 一次救命処置(BLS)と 第3章 小児の蘇生(PLS)だけでも目を通して見てください。

https://goo.gl/pjJrUa

そして、ご自身が勤務する施設に置いてある人工呼吸のためのデバイスを確認してください。

どこになにが置いてありますか?

そして、それを使うことはできますか?

もし、備品としてないのであれば、AEDと合わせて換気器具を配備することと、その訓練を提案してはどうでしょうか? AEDのように高価なものではありません。ポケットマスクなら3,000円程度、バッグバルブマスクでも、ディスポーザブルのものが1万円以下で買えます。


裁判官の判決にあった「適切に蘇生措置をしていれば助かった可能性が高い」という判断や、蘇生ガイドラインが義務であるという表現に引っかかりを感じる部分もあります。しかし、事例から私たちは未来をより良くする改善に目を向けたいと思います。




ABCDEアプローチは順番が大切 ー 酸素の流れを追う

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PEARS/PALS、ACLSでもおなじみのABCDEアプローチ。

これは救急医療で標準の考え方でもあります。

D(神経学的評価)とE(全身観察)の評価内容と介入の中身については、外傷系や神経系では若干の方言がありますが、根本的な考え方は変わりません。

ABCDEアプローチ【体系的アプローチ】


生命危機というゼネラルな考え方の中で特に重要なのは、大気中の酸素が体の中の細胞に届くまでの過程を追っているという点です。

その上ではABCDという順番を無視することができません。

傷病者がパット見で「意識障害あり」と判断された場合、ついつい神経系の観察を優先してしまいがちですが、その意識障害がショックや呼吸不全による脳細胞の酸素供給不足だとしたら、どうでしょうか?

ですから、どんな場合でも、気道が開通していることと、呼吸機能が保てていること、循環機能が保てていることを、この順番で確認していくことが大切です。



「パニックで人工呼吸できず」で送検|指導側の対策は?

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読売新聞2017年10月6日付でこんなニュースがありました。

無痛分娩死で院長「パニックで人工呼吸できず」 読売新聞


無痛分娩死で院長「パニックで人工呼吸できず」

 大阪府和泉市の産婦人科医院「老木(おいき)レディスクリニック」で1月、麻酔で出産の痛みを和らげる無痛分娩(ぶんべん)をした女性が死亡した事故で、担当した男性院長(59)が府警の調べに、「人工呼吸をしようとしたが、パニックになりできなかった」と供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。

 府警は、救命に必要な処置を怠ったとして、6日に院長を業務上過失致死容疑で書類送検する。

 無痛分娩を巡り、医師が書類送検されるのは異例。院長は容疑を認めている。

 捜査関係者によると、女性は同府枚方市の長村千恵さん(当時31歳)。院長は1月10日、長村さんに局所麻酔を実施。長村さんが呼吸困難を訴えたのに、経過観察を怠って容体急変の兆候を見逃したうえ、急変後も人工呼吸を行わず、同20日、搬送先の病院で、低酸素脳症で死亡させた疑いが持たれている。

(2017年10月6日(金) 7:05配信 読売新聞



先日、耳鼻科クリニックで小児の心停止で、(胸骨圧迫のみで)人工呼吸をしなかったことが「過失あり」と認定された ケースを紹介 しましたが、医療機関内における救急対応でも、その中身や質が問われる時代になってきています。

いざという時は慌ててしまって、準備していたものが100%発揮できないというのは、人間としてありえることですが、それを押してでも対策を考えておかないといけないのかもしれません。

AHA蘇生ガイドライン2010で書かれていた点ですが、いざという時に対応できなかった理由の第一位は「パニックになった」(37.5%)でした。

そのため、次のように勧告しています。

「CPR訓練によってパニックの可能性に対処し、パニックの克服方法を考えるよう受講者に促すことは効果的である」 (クラスIIb LOE C)


救護義務と訴訟を考えたときに、まず問題とされるのは「体制」です。

つまり、きちんと訓練・準備されていたかどうか、です。

学校などでも、しばしば対応マニュアルがあったかどうかが問題とされるのはこの部分になります。

そして訓練をしていたかどうか?

先の耳鼻科クリニックの例に関して言えば、判決の中で医師はBLS訓練をしていなかったことも俎上に上がっていました。

そして仮に訓練がなされていたとしても、その中身が問われる時代になりつつあります。


この産科クリニックの例のようにパニックになってできないというのは、ある意味想定内のことです。

だったら、訓練の中でパニックに対応するようなトレーニングをしていたか、が問題となってもおかしくありません。


ここから、CPR訓練提供者であるインストラクター側の問題として考えていきますが、私たちは蘇生ガイドラインが勧告しているような「パニックの克服方法を考えるよう受講者に促す」ようなトレーニングを提供しているでしょうか?

ありきたりの技術練習に終わるのではなく、受講者が慌ててパニックに陥るようなシチューションを提示し、対応してもらう機会を作ることが重要だと言えます。

この点、AHA-BLSプロバイダーコースでは、2015年のコース改定で「パニックの克服方法を考えるよう受講者に促す」ための訓練とも言うべきものが導入されました。

それが、「ハイパフォーマンス・チームアクティビティ」と呼ばれる10分間のチーム蘇生を行う場面です。

受講者4~6名程度で、どう行動するかが試されるこの場面、シナリオ提示の仕方によっては、効果的なパニックガード訓練にすることができます。


これに限らず、リアルな状況を設定して、そこに予想外の展開を仕込むことによって、パニックを疑似体験させて、その後の振り返り(リフレクション/デブリーフィング)によって「パニックの克服方法を考えるよう受講者に促す」ことができます。


これは、時間が許す限り、どんなCPR講習の中でも、取り入れたい内容ですね。





BLS横浜ブログは移転しました

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BLS横浜ブログへようこそいらっしゃいました。

本ブログは、2017年10月12日をもって移転をしました。

新しいURLは下記のとおりです。


http://blog.bls.yokohama


個別のページからは、新サイトへリダイレクトされるように設定してありますが、カテゴリページにアクセス下倍は、新サイトの最新記事にリダイレクトされます。

お手数ですが、新サイトのカテゴリーページから目的ページへ移動していただけますようお願いいたします。

最新のAHA-BLSプロバイダーコース、BLS-IFPとBLS-PHPコースの違い

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ながらくAHA-BLSとして知られていたBLSヘルスケアプロバイダーコースが、ガイドライン2015改訂に伴い、BLSプロバイダーコースと名称変更され、内容がガラリと一新されました。

教材設計的な違いについては、これまでも何度も取り上げてきましたが、今日はシナリオによって2種類の内容が混在していることについて紹介します。

すでに日本語化されているBLSプロバイダーマニュアルを見ても、まったくわかりませんが、この新しいBLSプロバイダーコースは、DVD教材の上では、完全に2種類に分けられています。

BLS for Prehospital Provider

BLS for in facility Provider

プレ・ホスピタルという単語は直訳すると病院前。

傷病者が医療機関に運び込まれる前に対応する人向けのBLSということです。具体的には救急隊員やプライベートで救急対応する非番の医療従事者、スクールナース(日本で言うと保育園看護師や看護師免許を持った養護教諭)などです。

in facilityというのは、あまり馴染みがない単語かもしれませんが、Facilityは施設という意味です。ここでも主に病院を主とした医療施設内で緊急対応する人のことを指しています。

つまりざっくり言うと、BLSコースが、病院内対応と病院外対応でわけられるようになったということです。

AHAガイドライン2015は、Life is Whyというスローガンに象徴されるように、現場主義が強く打ち出されてます。お作法的に技術を教えるだけでは不十分で、それを現場で使えるようにするためには、応用力を培わなければいけない、という考え方です。

そこで、これまではあえて避けてきた現実の複雑な状況判断と意思決定の場面を、リアルなシナリオ動画の中で描くことで、身につけるべき基礎技術と、それを現場で使うために必要なノン・テクニカルスキルの例を提示するようになりました

その最大公約数が、病院内での急変対応と、病院外での救急対応の2種類というわけです。

AHAガイドライン2015正式版BLSプロバイダーコースのIFPとPHPシナリオ一覧


どちらを選んでも実技試験、筆記試験は同じで、学ぶコアコンテンツも同じです。しかし、提示されるシナリオ動画が、病院勤務の医療者と、病院外で活動する救急隊やスクールナース、警備員などで、現場をイメージしやすいように分ける工夫がされています。

今後、日本でもこのDVDが日本語化されて、公式開催されるようになったら、公募段階でBLS-IFPコースと、BLS-PHPコースが区別されて募集されるようになるのではないでしょうか?

これまで、BLS横浜では、FPとPHPをいいとこ取りををして混在型でコース開催していましたが、4月以降は公募段階で明示していくつもりでいます。




親子で学ぶ救命教室〜地域密着企画講習の意義

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今日は、本牧にある「かいじゅうの森ようちえん」での講習会でした。

題して「親子で学ぶ救命教室」。

毎年この時期に開催させてもらって、もう4年目になります。

ようちえんのお子さんと、そのご家族とで一緒に心肺蘇生法を体験・練習しようという企画。家族ごとに成人マネキン1体と小児マネキン1体を用意し、親子ともども一緒に心肺蘇生法を体験してみようという企画です。

子どもたちもアンパンマンの音楽に合わせて一生懸命マネキンの胸を押していました。

今回は、赤ちゃんを連れて参加された家族が2組いたので、急遽、乳児のCPRと窒息解除法も付け加えてみました。

すでに来年の予約も頂いて、次回は2018年2月3日(土)予定です。今回は、遠く埼玉や東京からボランティアでインストラクターが駆けつけてくれました。

来年もまた近くなったら募集させていただくと思いますが、直近だと3月6日(月)にも横浜市内の幼稚園で親御さん向けの小児・乳児蘇生法教室を予定しています。

現在、お手伝いいただけるボランティア・スタッフを募集中です。


かいじゅうの森ようちえんでの親子で学ぶ救命教室
園のパンフレットと園長先生に頂いた朝取れのたまご



さて、私たちはいろいろな形で救命スキルを伝える講習や普及活動を展開していますが、今日の幼稚園でのご家族向け講習のような機会は、特にやりがいのある仕事だと思っています。

日頃BLS横浜でしているような一般公募での講習に来てくださる方は、基本的には意識の高い方、といえます。特に医療従事者向けのBLSプロバイダーコースなどは、もともとある程度できる人が、スキルアップを目指してくるというケースが少なくありません。

それはそれで意義のあることですが、地域社会での救命率を上げるという公衆衛生学的な意義を考えたときには、もともとは救命法をまったく知らなかった人たちが、新たに技術を身につける、意識をもつということには、また違った次元での絶大な価値があると思うのです。

わざわざ出向いてまで救命講習を受けようとは思っていない方にアプローチするのはどうしたらいいか?

それが可能となるのが、今回のような既存の地域コミュニティ内での救命講習の企画です。

今回は、幼稚園でしたが、日頃通っている身近な幼稚園の中で救命講習をするなら、参加してみようかな、と思う方もいます。


そんな、公募講習をしているだけでは決して出会うことができない方たちに、救命法をお伝えできる機会は私たちにとっても非常に意義深いやりがいを感じる時間です。

そういった意味で、こうした依頼をいただくことに感謝しています。

インストラクターとしても自分たちが持っているスキルが、社会に還元できることを実感できるひととき。

感謝です。




感染防護具使用と運動・認知・態度スキル

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BLS横浜では、BLSプロバイダーコースや、ハートセイバーCPR AEDコースのオプションのシミュレーション練習の中で、ケースに入ったポケットマスクを組み立てて手袋を装着して人工呼吸を行う体験をしてもらってます。

これが、けっこう手間取るんですよね。やってみるとわかります。

これをどのタイミングで、どの優先順位でするかを考え、意思決定するのが、現実の課題かなと思います。ケースバイケースで答えはありませんが、そんな問題に直面し、考える、ということが重要です。

人工呼吸要ポケットマスクと感染防護手袋(グローブ)


既成のポケットマスクを購入すると、ニトリル手袋が標準でついています。

講習会での練習ではほとんど無視されていますが、現実にポケットマスク人工呼吸を行うなら手袋装着が必要と思ったほうがいいでしょう。口から泡を吹いていたり、よだれがついていたり、出血したりと、口周りはあまりキレイではないことが多いものです。

ファーストエイド講習なんかは特にそうですが、「手袋をしたフリ」ではなく、傷病者対応の一連の流れの中で、手袋を身につけさせる体験は絶対にさせたほうがいいです。

意外と手間取るという現実を知ることと、手袋をしながらも声掛けをする、観察をする。そんなノン・テクニカルな技術が重要だということに気くからです。



これは手袋を付ける、外すという、パーシャルタスク(断片的な部分技能)で練習しても意味がありません。それはただの「運動スキル」の練習に過ぎないからです。

状況を判断して手袋をどのタイミングでつけるかの意思決定をするのは「認知スキル」です。

そして傷病者を目の前にして、ただだまって黙々と手袋を装着するのか、なにか声掛けをしたり、観察をしながら平行して行うのか。これは「態度スキル」に相当する部分です。

このように実際の人間の行動は、「運動スキル」「認知スキル」「態度スキル」という3つの技能から成り立っています。これらが統合されて発揮されて、はじめてパフォーマンスとして成り立つわけです。

これを逆説的に、身につけさせよう、トレーニングしようと思ったら、バラバラにやるだけでは不十分で、特に認知スキルと態度スキルは、部分を切り取ったものではなく、一連のシナリオのなかで経験をしなければ学べないということが見えてくると思います。

だからこそ、現場で使えるための技術はシミュレーションでないと学べないのです。





幼稚園の救命講習 親向けと教職員向けの違い

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先日、横浜市内の幼稚園で親御さん向けに「子どもと赤ちゃんの救急蘇生法」講習を開催させていただきましたが、同園では去年8月に教職員向けの「小児BLS&エピペン研修」を開催しました。

BLS横浜オリジナルの子どもCPRとファーストエイドのアルゴリズム


小児マネキンを使って、こども(1歳〜思春期まで)のCPRを教えるという点では同じですが、先生向けと親御さん向けで同じ展開をしたわけではありません。

それは幼稚園の先生と親御さんでは、立場がまったく違うからです。

例えば人工呼吸の方法が違います。

親御さん向けにはマウスtoマウスの人工呼吸を指導しますが、幼稚園の先生向けにはポケットマスクを使った人工呼吸で練習してもらいました。

唾液などへの接触によって病気が感染するリスクは高くはないとは言われていますが、子どもとは言え他人に口をつける動作を抵抗なくできる人はいません。

子どもの蘇生法では人工呼吸が特に大事と言われていますから、着実に人工呼吸をしてほしいと考えたら、フェイスシールド系のものではなく、やはりポケットマスクです。(園には2つ配備されています)

また幼稚園の教職員は、業務中の救急対応を想定していますから、一人法CPRだけではなく、胸骨圧迫の交代の仕方も含めて、二人法CPRの連携についても強調して練習してもらいました。

また練習をする上での動機づけも、教職員は「救護義務がある」という点で親御さんとは決定的に違います。

いざとなったら救命処置を行わなければならないという責務を負っているのが学校教職員です。

ですから、職業意識やプロフェッショナリズムに根ざした動機づけや指導が必要です。中身も形だけの体験学習のようなものではなく、「しっかりと身につける」ためにはある程度の練習量と、それに見合ったマネキン配置、スタッフ配置、そして時間が必要となります。

命に関わることをインスタントに終わらせてはいけない、そう考えています。


同じ幼稚園で、続けて2つの救命講習を企画させていただきましたが、そんな違いについて再認識した次第です。



AED充電中の胸骨圧迫の是非 AHA-BLS2015

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新しいG2015版BLSプロバイダーコースのDVDの中では、シナリオの中でAEDの充電中のわずかな時間でも胸骨圧迫を行うように指示している場面があります。

これは、G2010のACLSプロバイダーコースでも見られた場面なのですが、今回は明確な形でBLSコースにも入ってきました。

エビデンス的には明解で、G2010のBLSヘルスケアプロバイダーマニュアルでも書かれていたとおり、ショックの直前まで胸骨圧迫をしている方が自己心拍再開の可能性が有意に高いという論拠があります。

これは医学的には正しいです。

しかし、教育指導の上でどうするかは別問題。

日本で認可されているAEDの中には、充電中に胸骨圧迫を行うと、「体動を検知しました」ということで充電がキャンセルされる機種があります。

それにどのAEDも、解析のために「患者に触れないで下さい」というメッセージを流し、充電中に胸骨圧迫を指示する機種はありません。

ご存じの通り、医師が除細動をする時以外は、AEDの音声メッセージに従うからこそ、医師法違反が阻却されているという法論理があります。

ですから、いくら自己心拍再開の可能性が高いという医学的根拠があったとしても、日本国内で認可された医療機器としてのAEDの取扱説明書(添付文書)とその音声メッセージに従うというのが正解です。

医療機関内での職員研修で、院内に配備されているAEDが充電中に胸骨圧迫をしても問題ない機種であることが確認できている場合は別かもしれませんが、一般市民向け講習や、どのAEDを使うかわからない公募BLS講習では、充電中に圧迫するように指導するのは適切ではないでしょう。


この点は、AHA-BLSのDVDの中では日本事情は言及されていません。ビデオだけを見ると、誤解されかねない部分がありますが、BLSプロバイダーマニュアルのAED解説ページを参照すれば、「AEDの音声指示に従うこと」と明確に書かれています。

講習中は、この部分にはぜひ着目してほしいと思います。



PEARSプロバイダーコースのシミュレーション

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PEARSプロバイダーコースのシミュレーション「あり」と「なし」の違いですが、どちらも正式な開催方法です。

PERS with シミュレーション(ペアーズ)


インストラクターマニュアルを見ると、進行方法として、

・Learge-Group Discussion
・Small-Group Simulation

が選べるように設定されています。

大人数の座学で、座った状態でディスカッションして進めてもいいし、少人数に分けてマネキンを前にシミュレーションをしながら進めても良い、と規定されています。

どちらを選ぶかは主催インストラクターの考え方次第。

PEARSを学びに来る受講者のほとんどは、「できる」ようになることを求めているはず。そう考えると、シミュレーションは欠かせない、というのが私達の考え方です。

特に1つまえのG2005版のPEARSでは、シミュレーションを省略するという選択肢はありませんでした。

開発当初のPEARSコースを日本に導入してきた数少ないUSインストラクターの系譜を汲む私たちは、シミュレーションにこだわったPEARSを展開しています。




ウィルダネス・ファーストエイドの法的問題考

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2017年6月16日(金)に開催された 第1回ウィルダネス・リスクマネジメント・カンファレンス に参加してきました。

初回開催の今年のテーマは「日本における野外救急法の現状と課題」

主に北米で発展してきた Wilderness First Aid 講習プロバイダー(提供事業者)が日本にもいくつか入ってきていますが、野外救急法が一般の救急法と違うのは、救急車が来てくれる環境ではないという点。

そのため、通常だったらプロの救急隊員や医師に委ねるべき判断や医療処置(脱臼整復、アドレナリン注射、ジフェンヒドラミン投与、創洗浄、頚椎保護解除診断など)までも含むのがウィルダネス・ファーストエイドの特徴です。

そのため、北米の講習プログラムをそのまま日本国内で展開したときの危険性や法律に抵触する可能性がしばしば問題となってきました。

今回は、複数のウィルダネス・ファーストエイド講習展開事業者が集い、実現したカンファレンス。

野外教育の専門家、弁護士、医師による野外救急法をテーマにしたシンポジウムで、ウィルダネス・ファーストエイドの日本での法的な位置づけがはっきりすることを期待しての参加でした。


●新しいことはなかった

さて、参加させてもらっての感想ですが、「なにも新たな知見はなかった」、というのが結論です。


  • ファーストエイドは医師法に抵触しない

  • しかし、ウィルダネス・ファーストエイドに含まれる医療行為の実施は傷害罪を問われる可能性がある

  • アウトドアガイドなど業務で処置する人は、一般人に比べて結果責任を問われる可能性が高い




従前から知られていたとおりのことが再確認されただけでした。

当初、弁護士の話として、ファーストエイドの実施は医師法違反にならない、という点が強調されており、ウィルダネス・ファーストエイドの実施にはなんら法的問題はないという論調が形成されました。

しかし、その後の質疑応答の中で、「ウィルダネス・ファーストエイドに含まれる、本来は医師しか行えない医療行為を無免許者が行えば傷害罪になるのではないか?」というフロアからの意見に対しては、個別のケースは事後に検証しなければわからないが、傷害罪をとなる可能性はあるというのが弁護士からの回答でした。

つまり、医師法違反にはならないが、刑法(傷害罪)に抵触することは否定できないという結論です。


●医師法違反にならないが傷害罪にはなりうる

この部分のシンポジウムの進め方には、少し危険な部分を感じました。

医師法違反にはならないが傷害罪になる。

それを持って、大丈夫、法的に問題ないという論旨展開していたことになります。

質疑応答で刑法のことが質問されなければ、これで終わっていたと考えると恐ろしさを感じます。

そもそも、弁護士が真っ先に言及した「ファーストエイドは医師違反にならない」という言葉の中の「ファーストエイド」の中身が定義されていなかったのも問題でしょう。

これを日本赤十字社や総務省消防庁がいうところの救急法とするのであれば、なんの違和感も感じない文脈です。

しかし、今回は、町中であれば、医師以外がやってはいけないと認識されている行為を含めた「普通ではない」ファーストエイドを論じているのです。

この前提を整えずに、法的に問題ないと結論付けるのは、大きなミスリードを生む危険をはらんでいると感じました。


医師法が規制しているのは「反復継続の意思」を持って医行為を行うことであって、簡単にいうと偶発的な単回の医療行為は医師法違反となりません。これは事実です。

だからと言って、例えば素人がナイフを使って気管切開をしていい、という話にはなりません。

他人の体に刃物を突き立てれれば傷害です。

いくら緊急事態で刑法37条の緊急避難が適応されるとしても、一般的には無謀な行為とみなされるでしょう。そのような判例がないから、ダメとは言えないという意見もありますが、だからといって素人が人の首にナイフを突き立てることをよしとする通念は日本にはありません。

緊急避難にあたるかどうかは社会的相当性で判断されると弁護士は言っていました。

日本社会におけるファーストエイドには医行為は含みません。これが日本の社会通念。

そんな中で、米国の民間団体が行う数日間の講習を受けて取得した民間資格で、素人が医療行為を行う妥当性があると判断されるものなのか?

今回のシンポジウムでも、明らかになりませんでした。



今回のシンポジウムには、アウトドア事業者、医療者、野外教育者など、90名近い方が参加していたと聞いています。

この話を聞いた人たちがどのような理解を持って帰ったのか?

それが気になるところです。

今回のカンファレンスの内容はアウトドア雑誌で2ページに渡って紹介されることが決まっているそうです。

「ウィルダネス・ファーストエイドは日本の法律的にまったく問題ないことが確認された」というようなミスリードされた理解に基づいた記事が発信されないことを願っています。




ウィルダネスファーストエイドの医行為は傷害罪?

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2017年に6月16日にお台場で開催された ウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンス の様子が、アウトドア雑誌Garvyに掲載されました。

Garvy 野外救急法の最前線 ウィルダネスファーストエイドの危険性


このカンファレンスに関しては、医療や法律に明るくないアウトドア専門家たちをミスリードする危険をはらんでいたことは以前にブログでも書かせていただきました。



カンファレンスには、メディア関係者も来ていたため、どのように報じられるかを懸念していましたが、Garvy誌に関しては、きちんと正しく伝えてくれていたため、一安心。

どのような内容だったのかは、ぜひ Garvy誌2017年8月号 の106〜107ページを御覧いただきたいのですが、かいつまんで要点だけを確認し、補足をしておきます。



(ウィルダネス・ファーストエイドが)「一般的に知られる救急法と異なる点は、救急車が来ないようなウィルダネスエリアで、より高度な救急処置を行うことです。例えば、一般的には救急隊員が判断し、医師が処置するような頚椎保護の診断や、脱臼の整復深い創傷の洗浄や、注射の使用などがこのウィルダネス・ファーストエイドには含まれます」

(小清水哲郎:野外救急法の最前線, Garvy 2017年8月号, p.106, 実業之日本社)


記事の中では、まずは日本の一般的なファーストエイド(救急法)とウィルダネス・ファーストエイドの違いを明確にしていました。

この点は、先のカンファレンスではまったく言及されていなかったという問題点は以前に指摘したとおりです。

パネラーとして登壇した弁護士や医師が言及する「ファーストエイド」が日本の一般通念によるファーストエイドなのか、北米の特殊なウィルダネス・ファーストエイドなのかはっきりしないまま議論が進んでいたため、オーディエンスに誤解を与える問題点となっていました。


  • 日本の一般的なファーストエイド(日赤や消防で教える内容)……医療行為は含まれない
  • 北米発祥のウィルダネス・ファーストエイド……注射や脱臼整復などの医療行為を含む


まずは、この違いをきちんと区別して考えることが重要です。

それがウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンスでは抜けていました。

その点、Garvy記事はきちんと補足してくれています。


その上で、法的な視点ということで次のようにまとめています。

「一般的なファーストエイドを緊急時対応として行うことは問題ないが、『ウィルダネス・ファーストエイドの場合は、実際の個々の案件による』とのこと。事例が多くなく、また判例もないことから、現時点では万が一の場合は『医師法違反にはならないが傷害罪になる』可能性がある、という話でした」

(小清水哲郎:野外救急法の最前線, Garvy 2017年8月号, p.107, 実業之日本社)


この部分ですが、前回のBLS横浜ブログ記事で書いたとおり、フロアからの質疑応答によって初めて言及された部分でした。つまり、たまたまの質問がなければ全くスルーされていた部分です。ここをきちんと拾ってくれた記者の方には感謝です。

医師法違反が問われるのは、「反復継続の意志」を持って医行為を行った場合ですから、単発の偶発的な医療行為が医師法に抵触しないのは、AEDやエピペンの市民解禁ですでによく知られているとおりです。

しかし、医師以外が行う医行為は、その正当性を担保するものがありませんから、社会的相当性によって判断され、否となれば、人を傷つけたという傷害の罪が問われる可能性は十分にありえます。これは医師法とはまったく別の問題としてウィルダネス・ファーストエイド・プロバイダーの前に立ちはだかっているのです。

一般の方はあまり考える機会がないかもしれませんが、医療行為のほとんどは、目的や妥当性を誤れば、人を傷つける行為、傷害と紙一重です。

つい先日も、睡眠導入剤を飲み物に混ぜた(薬剤投与した)准看護師が傷害容疑で逮捕されたという事件が記憶にあたらしいところでしょう。

人に薬物を投与したり、針を刺すという行為は、基本的には傷害です。

しかし、高度に訓練を受けて免許を与えられた「医師」が医学的な妥当性をもって行うときに限り、その判断と行為が正当化されて、診断・治療という名前に変わるというのが法的なロジックです。

ここで3つのポイントがあります。

1.行った行為(処置:医行為)は正しく実施されたか?
2.行為を実施するという判断(診断)は妥当だったか?
3.実施者は、1と2を行うだけの訓練をされた人間であったか?

日本では、医学部に入学し6年間の教育を受け、医師免許を取得することで上記の1〜3が担保されるとみなされます。

つまり、傷害と医行為を区別するポイントは、一言で言えば「免許」です。

緊急避難ということで大目に見たとしても、「教育・訓練」が問題となるのは必至でしょう。

今は、判例がなく、なんとも言えませんが、今後は、この教育・訓練の妥当性が焦点となっていくはずです。

Garvy誌の記事の中で、「ウィルダネス・ファーストエイド講習に参加した医療者は、対処法に問題はないと考えています」「医師も学ぶ点が多いなど、好意的な話や」と言った一文があり、医学的な妥当性があることを示唆していますが、医学的に正しいことであっても、それをウィルダネス・ファーストエイドという国家資格とは無縁の外国の教育を受けることで、基礎知識のない一般人が、妥当な判断をできるように人材に育つのか、また技術の保証がされるのか、ということこそが問題です。

そこに関しては、カンファレンス中でも言及はされませんでしたし、記事にも書かれていません。

だからこそ、記事の結論として、「現時点での考え方は、従来からの現場課題であり、カンファレンスだけで問題解決する話ではありませんでした」としているのは妥当だと思います。

医学的正当性を検証するだけでは不十分です。教育的な妥当性も検証されなければならないのです。

「この先の良き前例の積み重ねによって、ウィルダネス・ファーストエイドへの理解と必要性を作り上げていくことの確認がなされました」

この当事者になる覚悟は重いです。

簡単にいえば、訴追される、裁判になるという覚悟です。

そうして、裁判や、社会問題として検討されていく積み重ねが、今後必要だということです。



次回は来年の6月に長野でウィルダネス・リスク・マネジメント・カンファレンスが開催される予定です。

このカンファレンス自体は、ファーストエイドに特化したものではなく、あくまでも野外リスクマネージメントという視座の中のひとつとして、今回たまたまファーストエイドが選ばれただけです。ですから、次回のテーマは、遭難かもしれませんし、落雷かもしれません。

しかし、今回、懸案だったウィルダネス・ファーストエイドの現状確認の第一歩が行われたわけですから、この先のウィルダネス・ファーストエイドの日本国内定着に向けての議論は、今後も続けていってほしい永代のテーマだと思っています。

WRM関係者ならびにすべてのWFA講習提供者の方たちには、この点、切にお願いしたいと思います。









山渓ウィルダネスファーストエイド記事の問題

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昨日は、アウトドア雑誌Garvyに掲載された「ウィルダネス・リスクマネジメント・カンファレンス」のレポートを紹介しましたが、山岳雑誌「山と渓谷」でも同じ話題が載っていました。

山と渓谷社 ウィルダネス・ファーストエイド記事


ウィルダネス・ファーストエイドの医行為に関するシンポジウムの下りは下記のようにまとめられていました。

「山岳事故の法的課題などに詳しい弁護士の溝手康史さんは緊急事態下では『医療行為』に該当する応急処置を一般人が行っても医師法には反しないとの原則を説明した上で、『ガイドなどは職務上の注意義務があるが、本来なすべき処置を行っていれば、責任を問われることはない』として、対応を恐れないように呼びかけた。」

(山と渓谷, 2017年8月号, p.187)



1ページだけの簡単な記事で、非常に簡略化されている印象ですが、前後の文脈はなく、当該部分はこれだけです。

昨日のGarvy誌の掲載内容についての記事をご覧頂いた方は、お気づきと思いますが、主たるメッセージがまったく違います。ほぼ正反対に近い印象を受けるのではないでしょうか?

山と渓谷誌の記事:
一般人が行う医療行為は医師法には反しない → 本来なすべき処置を行えば責任は問われない → 恐れるな

Garvy誌の記事:
一般的なファーストエイドを緊急時対応として行うことは問題ない → ウィルダネス・ファーストエイド(医行為を含む)は万が一の場合は傷害罪になる → 今後の課題


山と渓谷誌の記事では、先のカンファレンスでの展開と同様、ファーストエイドと医行為の関係性が明確になっておらず、日本の既存概念の応急処置と北米のウィルダネス・ファーストエイドの違いが混沌としています。

一般人が医療行為を行ったとしても「反復継続の意志」がなければ医師法違反を問われないのはよく知られた既知の内容です。

しかし、日本の一般的な応急手当の概念では、医行為は行わない、教えないことになっており、応急手当に医行為が入るのはありえないことです。

ですから、本来なすべき処置 ではない 医行為を行っている以上、2番目の「本来なすべき処置を行えば責任は問われない」という文脈の意味が通りません。本来はなすべき立場にない人(医師免許を持たない人)が行う行為なわけですから。

短い文脈の中でも論理が破綻しており、結局何をいいたいのかわからず、そこに残るのは「恐れるな」という、根拠性のない空虚なメッセージだけです。

・医師法の問題
・刑法の問題(傷害の罪と緊急避難)
・ガイド等の注意義務

シンポジウムで話されていたこの3点が混在となって意味不明な一文になってしまっています。

なにより、医師法違反は問われないとしても、傷害の罪を問われる可能性があるという弁護士の重要な発言部分がまったく触れられていないのは、恣意的なものか、大きな問題と考えます。

字数制限ゆえの「舌っ足らずさ」なのかもしれませんが、非常に重要な部分だけに配慮と責任が感じられず、あまりに残念です。

無駄に大きい写真の意味が気になるばかりです。



溺水の救命のポイントは人工呼吸

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「プールで男児溺れる 監視員が救出、搬送 千葉公園」(千葉日報2017年7月21日付)


プールで男児溺れる 監視員が救出、搬送 千葉公園



プールの底から引き上げたら、意識なし、呼吸なし。人工呼吸をしたら自発呼吸が戻ったというニュース。

AHAの小児の救命の連鎖が示しているように、子どもの救命のための最大の武器はCPR(人工呼吸+胸骨圧迫)です。

喉頭痙攣による呼吸停止だったのか、低酸素による徐脈性PEA(無脈性電気活動)だったのかはわかりませんが、手早く人工呼吸に着手できたのが救命のポイントだったのではないでしょうか?

BLSの原則からすればAEDがあればただちに装着すべきですが、それと同じかそれ以上に、子どもや水辺の救命では人工呼吸が重要です。

心室細動に代表されるような心原性心停止であれば、AEDがなければ救命はほぼ絶望的ですが、呼吸原性心停止の可能性があれば人工呼吸+胸骨圧迫だけでも救える可能性があります。

AEDが「ショックは不要です」と判断したら、呼吸原性心停止の可能性が考えられますから、今どきの Hands only CPR の概念から切り替えて、人工呼吸の実施も積極的に考えていきたいものです。





AEDが「ショックは不要です」というとき

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心停止は大きく分けて2種類あります。

AEDの電気ショックが必要な心停止と、電気ショックが不要(有効でない)な心停止です。

これを判断してくれるのがAEDですから、心停止と認識したら、可能であればすべての症例でAEDは装着するべきです。

つまり、市民向けプロトコルでは、「反応なし+10秒以内に正常な呼吸であると確信できない場合」ですし、医療者向けで言ったら、「反応なし+呼吸なしor死戦期呼吸+脈なし」であれば、CPRを開始しつつ、AEDがあれば直ちに装着します。


AEDの電気ショックのことを専門用語では「除細動」といいます。文字通り、心臓の細かい動き(震え)を取り除くのがAEDです。

心臓が細かく震えている心室細動や(無脈性)心室頻拍を検出した場合に限り、「ショックが必要です。充電します」と言って、電気ショックが実行されるようになっています。

もう一方のタイプの心停止、つまり心停止の中でも心静止(心電図がピーッと一直線の場合)や、なんらかの原因で血圧が低すぎて有効な血流がない状態などの無脈性電気活動(PEA)と呼ばれるタイプの場合は、心停止の原因が心臓の震えではありませんから、当然、AEDは「ショック不要」と判断します。しかしこれも心停止なのです。

ショック不要=心停止じゃない(生きている)というわけではない点、注意して下さい。

AEDは心電図の解析しかできませんから、生きているか心停止かの判断は人間が行わなければならない「仕様」になっています。

そのためAEDを装着する条件が規定されているわけです。


※市民向け: 「反応なし+呼吸なし」
※医療者向け: 「反応なし+呼吸なし+脈なし」


この点は、AEDの取扱説明書(添付文書)で規定されていますし、救命講習でもきちんと教える必要がある部分です。





「反応なし+呼吸なし」ということで、心停止と判断して、AEDを装着して解析させた結果、「ショックは不要です」と言われたのであれば、それは電気ショックが有効ではないタイプの心停止だということです。

この場合、除細動(AED)では救えないということですから、できることと言えば、救急車が到着するまでの間、できるだけ「質の高い」心肺蘇生法を継続することです。

目の前で卒倒した突然の心停止(心原性心停止疑い)の場合以外は、体の中の酸素が枯渇している状態ですから、もし人工呼吸をまだ開始していないのであれば、なんとか感染防護具を手に入れる努力をして、人工呼吸を始めるべき、といえるでしょう。





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